「カード10数枚に絞って、できるだけ覚えて会って欲しい。なかんずく、もしこの河辺という男が出てきたならば、猊下(阿部日顕)の懐刀と言われている人物だから、充分に気をつけてくれ」
重要とされる10数枚の僧籍カードを見せられたのですが、全員が坊主頭で、カードを繰り返し見てもさっぱり印象に残りませんでした。つまりどれも同じ人物にしか見えないのです。おまけに、
「充分に気をつけてくれ」
と言われても、私の持っている機密情報を日蓮正宗中枢の者に教えるということは、二律背反であるとも言えます。
後藤さんには、河辺と会うとの私の最終決定を伝えました。この時、後藤さんに、どこで僧侶と知り合ったのかという質問をしました。返事は、さすが後藤さんと言わざるをえないような生真面目一本の返答でした。
後藤さんと日蓮正宗の僧侶数名で何年間も「本覚思想」について研究をしてきたということでした。そこに今回アクセスしてきている高僧が、有志の一人として加わっていたというのです。
後藤さんとの電話での話で、新宿南口のホテル・サンルートで会うことになりました。私は約束の時間より20分くらい先に着き、後藤さんとともに部屋で待ちました。
すると恰幅の良い僧侶が入ってきました。会ったのは、おそらくは8月の下旬、いまだ夏の日差しの強い日でした。高僧は、大汗をかいていました。ハンカチで頭や首筋を拭いていました。
「先生、お暑いようですね。背広、お預かりしましょうか」
私はそばに行き、背広を預かりました。背広を手に持ってクローゼットに向かって歩いている時に、死角に入る一瞬がありました。左手をクルっと回し、背広内側に刺繍された名前を確認しました。
そこには「河辺」と刺繍されていました。
要注意人物の最右翼が、やはり出てきたのです。私は河辺の質問に対し、とことん真実をもって答えました。操作情報を入れれば、重要な局面で宗門側が誤った判断をします。それは最低限、避けなければならないことです。
立正佼成会やPL教団が、彼らの所属する新日本宗教団体連合会(新宗連)をクッションにして、まったくのガセネタを週刊誌に流していること。ある週刊誌はアメリカの情報機関の下部組織となり、ある週刊誌は官邸の意に添い、ある週刊誌には自衛隊調査隊の情報が反映されていること。
創価学会の元・顧問弁護士である山﨑正友が、事実に反した思いつきでしかないようなガセネタを、あらゆる週刊誌・月刊誌に流していること。私は山﨑が造反するまでは、山﨑の部下であったこと。したがって、私が山﨑の悪辣なやり口を最も良く知る者の一人であること。
ともかく私は、宗門の高僧である河辺に、真実が排斥され、いかに虚偽情報がデッチ上げられ、メディアにおいて創価学会の悪事として書かれているかについて、懇切丁寧に話をしました。
河辺は、山﨑の跳梁跋扈があまりに酷いことに驚いていました。私は細井日達・前法主が所有権に関与したとされる土地を巡っても、山﨑が弁護士として不正をしたことを話しました。
山﨑は妻子の元を離れて、新宿区荒木町のマンションに住み、そこを住居と仕事場に使っていました。そのマンションで、山﨑は喜色満面、土地転がしで大枚を手にしたことを私に話しました。その一部の金は日達に渡っていました。
「猊下には、裏金で5000万円、渡したんだ。それで猊下の心を掴んだ。情報だ、どこの宗教団体だなどといったことは、どうでもいい。猊下は掌中にありだ。今後は、実業家として生きる」
このペテン師が!
(以上第7報)