㈱報恩社は、昭和58年8月24日に池田大作先生にお手紙を書いてご報告をし、創立しました。
それから38年が経ちました。思い返せば、よくここまで来ることができたとの感慨無量の思いで一杯になります。
当初、㈱報恩社は新宿区愛住町のビルの1階で業務を始めました。そのころの私は世事に疎く、敷金なしでそのビルに入ることができるとの甘言に弄されて、なんら疑いの心なく喜んだものでした。
ところが入居1年も経たないある日、6、7名の方々が不意に会社を訪ねて来るという事態に遭遇しました。その人たちの言い分によれば、このビルは自分たちグループが所有するもので、不法占拠しているあなたたちには、継続して使用する資格はないと一方的に宣告されました。
6、7名の方々が来訪した時にはその程度の話で終わりました。後日、先方は改めて㈱報恩社に電話をしてきて、日を決めて来社を願いたいと言ってきました。
私はきちんと話し合いをしておかないと後からもめると思い、数日後には相手方の会社に出向きました。相手方の会社は千代田区九段下のビルにありました。部屋に入った時、4、5名の相手方社員が対応しました。私は一人で行っていたものですから、この大人数の応対に違和感を覚えました。とはいえ先方の言い分どおり認めると、一方的にビルから出されるだけでこの争いは終わると思いました。
私は、
「おたくの都合を立ててビルから撤退する意思は、毛頭ありません」
と答えました。
先方は私が全面拒否するということを予想していなかったようです。つまり、訪ねて来るからには何らかの妥協案を持ってくると考えていたようです。私は相手の立場など斟酌せず、すたこらと帰ってきました。
私がそれまで大家と思っていた人より事情を詳しく聞くと、私の入居前にビル1階を賃貸借していた人がおり、その人がこのビル1階の使用権を私に譲渡したことになっているということでした。
しかし、それは事実に反することでした。使用権を譲渡したかどうかはさておき、私は私の入居前にこのビル1階を借りていた人物と会ったこともありませんでした。
裁判になりますと、私も法廷に立つことを忌避することはできません。会ってもいない元の賃貸借人と会ったことにし、使用権を譲渡されたとし、法廷において偽証をするなどということは、あまりにあざといやり口で、私のすべきことではないと思いました。
これは、かつてのビル全体の大家が、新しい大家に対抗することを目的に、ビルの1階に葬儀社を入れ、ビル全体のイメージダウンを図り、新規のテナントが入らないようにすることを企んでいたのです。
そのことにより新しい所有者がビル全体の所有を諦めるのではないかと、企図していたのでした。
私は元の大家の書いた絵図に乗せられ、偽証の一役を担がされようとしていたのです。
このままでは、裁判も進行しているのですから、いずれかの時点で合法的にビルより出されると考えました。
すぐさま行動に移りました。この前、訪れた九段下のビルを再び訪れました。相変わらずそこにいたのは地上げ屋風の数名の人たちでした。
私はこの前とは打って変わって、さして話さないうちから、
「引っ越しします。それについては転居のためのお金が必要です。なんとか面倒を見てもらえますか?」
と要望を述べました。
このあと、事態は思わぬ方向に展開しました。
(以上第1報)