創価学会にとって宗門問題は、時代とともに間歇的に表面化する傷口でした。出家はどの時代にあっても、在家の者より自分たちが宗教的に上位であるとの根本的な錯誤をしています。
戦中においては、在家の折伏の将が獄に入れられているにもかかわらず、自分たちは臆病にも、ただ逃げました。その行状に折伏精神の欠片も見出すことはできません。
昭和47年、事の戒壇堂としての正本堂を創価学会の寄進により完成させましたが、その直後より若手の僧を中心に創価学会への排撃が露わになりました。その流れの中で昭和54年4月24日、創価学会第3代会長の池田大作先生は、会長職を辞されました。池田先生が「勇退」されたのは、僧俗の和合を願ってのことでした。しかしそのことは、さらに道念なき僧たちの分不相応な増長を生むこととなりました。
さらに平成2年12月27日、宗門は池田先生の総講頭職を罷免し、それまであった総講頭職を辞すれば無条件で名誉総講頭になるという宗規をなくし、池田先生が無役になることを企みました。このことにより宗門は、池田先生を主たる攻撃目標とし、創価学会を分裂させ、その一部の20万人を我が懐に入れようとしたのです。この宗門の謀略を具に見るならば、紛れもなく宗門は、僣聖増上慢の謗りを受けて当然でしょう。
末筆ながら永き歳月にわたり、私を支えてくれた㈱報恩社の社員に御礼を述べるものです。
2021年11月11日