下の階に様子を見に行った社員が、私に報告をしました。
「大変ですよ。下の階に設置した補強用の柱に、テッポウをしているのがいますよ」
「誰だ」
「青木太(仮名)です」
「あいつ、やっぱり足腰が強いんだな。それにしても、本職の相撲取りのテッポウならまだしも、素人のテッポウで俺の部屋が揺れているというのもひどい話だ。青木がテッポウするだけで、揺れた挙句に〝ギリギリ、ギリギリ〟と音までするんだから、尋常じゃないな。元々、費用を抑えて極限まで節約をして増築したのだから、危険は迫っていると考えたほうがいいかな。しかし何人もの学会員が、増築によって事故死したら大変なことだ。建て直すしかないかなあ。それにしても、また借金か……」
私は、そこであることを思い出しました。
ご面会に来られたご遺族の方が㈱報恩社の本社ビルを見て、想像していたより粗末なものであったらしく、
「こんな所だったら預けないほうがよかった」
と独白されたという報告です。
この報告と青木太のテッポウの事件で、今後を考えると仏間・奉安室・ご面会室を整備した新社屋を建てるべきだと決意をしたのです。
小一年、他社の社屋の一部を借りて営業しながら、本社ビルを建て直しました。
新しいビルの中には、仏間、故人様をお預かりする奉安室、そしてご面会室を2部屋、設けました。機能の上でも、大・小2基のエレベーターを設置し、利便性の上でもより一層、優れたものになっています。仏間を通り、ご面会室に行かれる方は、ご面会の前から敬虔な面持ちでいらっしゃいます。
私は会社で主に教学関係の本を読むことが多いのですが、今では蔵書も6000冊を数えるに至っています。それらの蔵書は、本社屋の2階にあります。
それ以外の大切な写真、裁判の記録、執筆した本などは、仏間に置かれています。
私は東京理科大学会に所属をしています。この理科大学会は、昭和44年7月の夏季講習会の際に結成されました。キャンプファイヤーに照らされながらの結成式でした。
この時、私は池田先生に挙手の上で、約束しました。
「民衆不在の権力、傲慢な人間と生涯に亘り、戦い抜きます」
この私の誓願に池田先生は、次のように答えられました。
「私と同じ考えだ。一緒に広宣流布をしよう」
本当にありがたいことでした。
その後、池田先生は私たちに対し、
「活動のための会館を作ってもらいたい」
と言われました。私を含めた参加者の皆が、大きな声でその実現を約束しました。貧乏学生だった私は、本当にできるのかなとも思いました。
しかし現実に今、グループ会社全体で、葬儀を施行する会館として、やすらぎホール江戸川、やすらぎホール町田、そして本社宝珠ビルの三つのビルを所有しています。
私は、池田先生に大きな声で約束したとおりのことをなすことができたのです。今となってみれば、不思議なことです。
キャンプファイヤーを囲んでの結成式を終え、池田先生は私をボートに乗せ、自ら漕いでくださいました。
その時、池田先生から、
「何になりたいか?」
と聞かれました。
私は、
「公明党職員になりたいです」
と返答しました。
すると池田先生は首を傾げられ、私をじっと見つめられた上で、改めて、
「何でもできる人になりなさい」
と言われました。
この時の池田先生とボートに乗せていただいた写真も、本社の仏間に飾ってあります。
(以上第4報)