私は、平成2年12月の10日前後、呼ばれて創価学会本部に出向きました。そこで聞いた話は、意外なものでした。
「今、創価学会側の誰が連絡しても宗門首脳は会おうとしない。宗門首脳の考えていることが、さっぱりわからない」
創価学会側は、宗門が何やら意図的な目的をもって、貝のように黙っていると考えていました。そこで、私に河辺慈篤と会い本心を探って欲しいとの依頼でした。
札幌の日正寺に2、3回、電話をしても、河辺は留守ということで何の応対もありませんでした。これまでの河辺とのつき合いでは、考えられない反応でした。コンタクトを諦めかけた12月20日前後、河辺から㈱報恩社に連絡が入りました。
「北林さん、何度か電話をもらって悪いね。羽田空港なんだけど、いま北林さんと会う訳にはいかないんだよ。誰かに言われて連絡をとってきたの?」
それに対して私は、
「誰かに頼まれた訳ではないですよ。私なりに考えて早急にお会いしたいと思っていますが」
と言いました。それに対し河辺は、
「いや、北林さん、いまは絶対に会う訳にはいかないんだよ。申し訳ないな。何か伝えたいことがあるなら手紙で送ってよ」
これまでの河辺とは違い、考えられないほどのそっけない対応でした。私は創価学会本部に行き、河辺とのやりとりを報告しました。そして自分一人で札幌の日正寺の河辺を訪ねると言いました。
しかしこれはおそらく1回のみ許されることで、2回、3回と使える手口ではないと思いました。
「創価学会の地元組織に照会し、河辺が間違いなく日正寺にいる日時を探って欲しい」
と、私は述べました。
「12月25日の午前中は、総代会があり、河辺は午後も必ず日正寺にいる」
この情報は、創価学会本部より私のもとにすぐ知らされました。
「午後2時に日正寺に行く」
こう決めた私は、社員1名を同道して、前日の12月24日に札幌へ行くことを決定しました。1日前にしたのは、飛行機の欠航など思いがけない事態が起きたときに、対応できるよう考えたからです。
それにしても、ホワイトクリスマスを札幌のホテルで過ごそうとするロマンチックなカップルは多いようで、どのホテルも予約でいっぱいでした。執念で、あちこちのホテルに電話をし、キャンセル待ちをしていたところ、あるホテルで1室だけキャンセルが出ました。
12月24日、羽田発18時00分のJAL523便に同道の社員1名と搭乗し、札幌へ向かいました。
千歳空港には19時25分着。札幌市内に向かうためバスに乗りました。見える景色は、モノトーンの世界でした。途中、気温を示す電光掲示板がありました。示す温度はマイナス5度でした。
ホテルに着いた2人は、すぐ近所の居酒屋「つぼ八」に向かいました。しかし明日のことを考えると、到底、リラックスできる状況ではありませんでした。そこそこに食事をしてホテルに戻りました。
私は、明日の河辺との話をどのように進めるかについて、様々なシミュレーションをしました。
翌25日(火)の午後2時、河辺が住職を務める日正寺に着きました。河辺は、突然の私の訪問に驚いていました。河辺は開口一番、
「岡村(仮名)さんに言われて来たの?」
と言いました。私は、
「自分の意思で来ました」
と、答えました。
(以上第21報)