この私の話には、当然のことながら河辺慈篤は真剣に耳を傾けました。同時にしきりにメモを取りました。私は河辺の期待に添うべく記憶を喚起し、縷々、真実を述べました。
会話をする3人の緊張感も、ピークに達しました。私は、とりわけ山﨑のことを、できるだけ正確に思い出すよう神経を集中しました。
以下のように、私は記憶に基づき、河辺に話をしました。河辺は、この事実を聞く間、ずっと苦虫をつぶしたような表情をしていました。
「所詮、猊下といえども人間よ。あれだけ金があっても、まだ欲しいんだ。俺は5000万円で、完全に猊下の心を掴んだよ。どうだ!」
山﨑は、有頂天になり、しばらくその下卑た笑いを抑えることができませんでした。 良い面の皮は私でした。この事実を聞いて笑うこともできず、はたまた悲しみを表情に出すこともできませんでした。
ある日のこと、私は本部職員でありながら、事件対策ということで山﨑の部下にされてしまった者たちのアパートを訪ねました。住んでいたのは、職員2名。部屋に入ると1台の電話がありました。2人に電話の主を尋ねました。
「事情はわからないが、電話の所有者は『山下商事』だよ。何やらこの会社は、富士宮の土地を扱っているということだよ」
それ以上のことは、2人ともまったく知りませんでした。山﨑がその電話を部屋に置くように指示し、加えて電話には絶対に出るなと厳命したということでした。
それだけ聞けば充分でした。山﨑は富士宮市で土地に関わる何かをしている。私はその電話の所有者を調べました。その上で、富士桜自然墓地公園の土地登記簿謄本の変遷を調査しました。
私はこの電話が、おそらくは山﨑の土地転がしに関わった法人所有のものではないかと思いました。
私は土地の登記簿謄本を富士宮市の法務局より取り寄せる必要があると判断しました。
そこで私が中学3年生の時に折伏をした同級生に封書を送り、中身を見ないで富士宮市の法務局宛に郵送してくれるよう電話で頼みました。そして法務局から書面が送られてきたら、絶対にその中を見ずに私のもとに転送して欲しいとも依頼しました。
このように最低限の工夫をして、富士桜自然墓地公園の土地の登記簿謄本を入手しました。私の見込んだとおり、謄本の所有者欄には「山下商事㈱」の記載がありました。この山下商事㈱はトンネル会社の役割を担っていたのです。この会社は、前記した本部職員2名が住んでいるアパートの部屋に所在していました。
私は件の電話を所有する会社について、法務局で調べました。ここでもまた私は驚かされました。発起人会議事録をあたると、そこに私の名前が書かれていました。私はこの法人の発起人にされていたのです。
なるほど、かつて私は山﨑に実印と印鑑証明書を渡したことがあります。それにしても弁護士が、当人に教えぬまま実印を押し、印鑑証明書を使うことなど、決してあってはならないことです。この時も私は、山﨑がペテン師であることを思い知りました。
この富士宮市での土地転がしには、静岡県議にして有力な不動産屋が噛んでいました。
山﨑はそれについて、
「地元対策でやむを得ない。この男を抱き込まないと総本山のある富士宮市が静かにならない」
と自らの正当性を述べました。
しかし、件の県議のほうが山﨑を懐柔していたのです。この県議は、山﨑にダイヤモンドをふんだんに埋め込んだカフスとタイピンを贈与していました。その額、時価1億円。その県議は、暴漢に襲われた時、カフスとタイピンを渡して命乞いをすると私に話しました。
私は、アホじゃないかと思いました。そのような超高価なものを身につけていれば、それを奪うために暴漢が襲ってくると考えるのが常識でしょう。
何かがおかしい。
(以上第8報)