平成2年12月25日の午後1時より、およそ1時間半近くに渡り、押木二郎、高橋公純、段勲ら5名が、日蓮正宗総本山大石寺の奥の院とも言える内事部の第3談話室において、阿部日顕と会っていました。話し合いの核心は、今後、展開されることとなる創価学会に対する攻撃についてでした。
なお日顕は、前日の24日夜に全国の反創価学会の活動家らに直接、電話をし、
「近いうちに池田を切るから、よろしく」
と、日頃になく丁重な物言いで、ともに決起してくれるように頼みました。そして、その話の最後には、次のような文言がついていました。
「私が電話してきたことは、28日まで絶対に内密にしておいてくれ」
日顕は、いずれの者にもこのように念を押したのです。ということは、27日か、あるいは28日の午前に、宗門が練ってきた謀略が公然化することを意味しています。
さて、12月25日に内事部において、日顕との密談を終えた反創価学会ライターである段勲は、同日、山梨県の西山温泉に向かいました。
この時、段勲と合流したメンバーは、反創価学会ライターの内藤国夫、正信会機関紙「継命」編集長・乙骨正生、そして創価学会元教学部長の原島嵩などの総勢8名でした。
原島は全体の流れをよく知っている風で、段が合流した際、気安く次のように言いました。
「大石寺に行ってたんでしょ」
「ええ、そうです」
8名のメンバーが西山温泉の慶雲館で一同に会したのは、午後5時のことでした。一行は、すぐ露天風呂に入りました。その後、食事となったのですが、メンバーが揃った午後5時半過ぎ、内藤宛てに石田次男(元創価学会理事の造反者)から電話が入ってきたのです。
電話から戻った内藤は、
「日顕さんが、ついに池田大作さんのクビを切ることを決めたってよ。年内にやるらしい。28日までは公にするなって、念を押されたということだ」
と皆に言いました。
早くも創価学会と池田先生に対する故なき処分の予兆が見え始めました。池田先生に対する処分は、おそらく近日中に開かれる宗会で行なわれると分析されました。
この後、一同は場をスナックに移しましたが、酔っ払いすぎた者たちは、早くも脱落していました。そこで気心の知れた者たちを前にして、段と乙骨が話を始めました。
段 「じゃあ、お話をしましょう。今日、猊下と1時間半、内事部において話してきました。明日、あさってと緊急の宗会を開いて、まず宗規の改正をします。これまでの宗規の場合、日蓮正宗の総講頭は、辞めると自動的に名誉総講頭になると定められています。それを封じるために宗規の改正をします。新しい宗規によれば、池田の首を切っても名誉総講頭にはなれません。そのように宗規改正をしておいて、あさっての宗会で池田の総講頭罷免を決めます。これはもう決まっています」
乙骨 「池田に対しては、辞任の要求ではなく、罷免なんですね」
段 「そうです、罷免です。猊下はやる気ですよ。いま、開戦前の張り詰めた空気ですね。僕も猊下を見直しましたよ。年内にやってしまう気です。
……もしやらなかったら、今日、内事部で私たちに猊下が言ったことを全部、書いてバラしますから。外部の者である私に言うのだから、猊下の決意も固いとみるべきでしょう」
段の発言をみれば、マッチポンプで売文家である段の本性がわかります。
(以上第24報)