日正寺における河辺慈篤との会談は、平成2年12月25日午後2時から午後4時4 0分まで続きました。
その詳細な記録は、今でも会社に残っています。
私は会談の内容を想起し、同道の社員にホテルのロビー、千歳空港の時間待ちの間、そして機中でと、思い出せる限りの詳細な記録をワープロで打たせました。河辺との会談の中で出た事柄のうち、自分としては重要度がないと判断したものが、実は重要であったということが多々あります。それゆえ、できるだけ詳細な記録を残したのです。
この会談記録の一部を、以下に公開します。
○ ○
この日、河辺はいたって不機嫌でした。私の突然の来訪を訝しく思っているのが、手にとるようにわかりました。最初、河辺は話をするのに、私の目をみることができませんでした。
①「今日はどうして来たのか。あなたからの電話があった時、学会はまったく宗門との道を閉ざされたのかと思った。
岡村さんは、あなたが来るのを知っているのか?」
「岡村さんは知りません。今の宗門と創価学会との緊張状況の中で、ご住職の所へ私が来ているということについて、誰にどう話しても納得してもらえるようなことではありません。
私もそれなりに覚悟をしてきています。このままだと多数の退転者が出ます。見ておられません。両者が何も話さないままぶつかる、実に馬鹿げています。ご住職以外に創価学会ときちんとした話し合いができる人はいません」
「自分は、今は出ることはない。前の正信会問題については、猊下に書面できっちりしたものを報告してある。それで宗内のゴタゴタした問題には、私なりにけじめをつけたと思っている。もう二度とゴタゴタしたことに関わり合いたくない」
「その気持ちは私もよくわかります。私もいくらか、ご住職のお気持ちを理解しているつもりでいます。しかし、このままだと爆発してしまいます」
「自分が出ることはない。そんな話もない。爆発するんだったら、したほうがいいと思っている。物事は行き着くところまで行かないと収まりがつかないことがある」
「ありがとうございます。それでは、収める時には出ていただけるんですね」
「(黙っている)」
「現在の役僧の方々で処理ができますか? 処理能力もなくてエキサイトだけしています。おまけに情報に尾鰭がついて漏れています。解決するには密室でとことん話し合う必要があります。他の人では情報が漏れてダメです。また、言うべきことも言えません。それでは物事は解決しません。宗門と信者のことを考え、じっくり話し合ってください」
「自分が纏めるとしたら、やり方はある。しかし、今は誰にも言えない。実は、出てきてくれとも言われているが断っている。今は出る気はない」
②「ご住職は現在、池田先生に対してどのように思われているのですか、それを聞かせてください」
「池田さんに折伏精神がなくなってきている。創価学会にもなくなってきている。十字勲章なんていうのはキリスト教だ。謗法だということで厳然と断ればいい」
「ご住職、トップは友好活動、下は折伏をすればよいのです。当たり前の戦略です。ソ連にしても時代は変わり、宗教法人の結成も許されるまでになってきています。かつては共産圏での布教なんていうのは考えられなかった。
私は貿易の仕事もやっているので、中国にもしょっちゅう行っていますが、折伏をする環境は整いつつあります。いま折伏をして、国際問題化することは得策ではありません。とは言っても、学会員は中国本土で順次、折伏していますよ。中国で折伏ができる環境ができれば、何億という民衆が入信することになります、日本なんか比じゃないですよ。私なんか、実際に向こうで見ているとそう思いますよ。中国の近代化はどんどん進みます。いま強引に折伏をして国際問題化することは損です。先程の十字勲章のことですけども、その勲章だけ断るわけにはいかないでしょう。あちこちの国から勲章を受けているんですから。
関係が悪くなればその国の信者が弾圧され、布教が進まなくなりますよ。池田先生だって、好きで勲章をつけた写真を聖教新聞に載せているんじゃないと思いますよ。世界広布のための戦略です」
「(抵抗はないけれども譲りたくない様子)」
「池田先生がここまで宗門に対して、強硬に言っているのはなぜだと思いますか?」
「それがわからないんだ。それがわからないんだ。(何度もつぶやき、何度も頭をかかえた。本当にわからなくて困っている様子であった)」
③「ところで池田先生への処分はあるのですか?」
「(それには答えないで)どのくらい影響があるかな?」
「ご住職がどのようにお考えになっているかは知りませんが、これは日本の社会問題になりますよ。日蓮正宗の中だけのもめごとでは済みません。
池田先生を処分するなんてことをすれば、あまりにも唐突すぎます。学会員は納得しませんよ。
やり方によっては、数十万、いや百万を超える信者が退転することになります」
「私は池田さんに会った時、創価学会と宗門のありかたについて話したことがある。両者のありかたは山芋を掘るようなものだと言った。山芋は山芋本体を見て掘り下げていくと必ず折れる。しかし本体から出ている毛根を見て掘り下げていけば、どんなに深いものでも獲ることができる。この話を池田さんは忘れたようだ。
法を護るため、我々は血を出した。法を護るということは、それだけ厳しいことだ。
私が山芋を掘るコツを知っているのは、戦後間もなく徳島に住職として赴任した時、信徒の家の謗法払いがされていない者からは、断じてご供養を受けなかったからだ。本当に大変だった。飢えとの戦いだった。それで山芋を掘るコツを覚えたんだ。しかし、信徒の謗法払いは、年月はかかったけれど完全にできた。明治以前の寺では、まず完全にできている寺は、他にはないと思う。
向こうにいる時、大乗寺事件があった。大乗寺側について1000世帯くらいの信徒が離れて行く形勢にあった。私は乗り込んで行って『戒壇の大御本尊様から離れるのか』と言って一人ひとりを説得して歩いた。私は『戒壇の大御本尊様の前に、ドーンと重い扉を閉ざし、御目通りできなくなったらどうする?』と、信徒に聞いた。結局、最後に離れていった者は、30何世帯しかいなかった。
今回の件も、最後は一人ひとりに『戒壇の御本尊様から離れるのか、どうか』と聞くことになる。学会員一人ひとりが自分で判断をしなければならない」
「ご住職、大乗寺事件はご住職が聖僧だからできたんです。今の末寺の僧に、ご住職のような人は、まず見当たりませんよ」
④「8月の末の教師指導会で綱紀自粛のお達しがありましたね」
「あれは俺がやったんだ」
「その後もゴルフやっているのがいますよ」
「なに! ゴルフやっているのがいる?(愕然)」
「やっていますよ。綱紀自粛なんていったって、関係ないようなのがたくさんいるんです。私もご住職の話は聞きますけれども、実際に、東京で話をされて聞けるご僧侶なんて何人もいません。ご住職は聖僧です。しかしそんな人は何人もいません。まず非常識な人が多い。学会員は愛想をつかしています。その上、ゴルフだ、金だということになれば、どうしようもない。
勤行の後、挨拶のため高座から振り返ったら、額から下はゴルフ焼けで真っ黒、帽子で隠れていた額から上は真っ白なんて僧侶もいるんですよ。
また生活保護家庭から、葬儀の際、御供養を貰ってその中身が五千円ということで、わざわざ葬儀社の者を呼んで『あれじゃあ、袈裟・衣のクリーニング代にもならない』と怒った僧侶までいる。
話になりませんね。
御本尊を忘れたとか、位牌を忘れたとか、そんなことはまだ、うちでカバーできます。しかし、どうしようもないことが多すぎます。
ご住職、自分を基準にして考えたらダメです。東京の寺の半分はおろか、何分の一も学会員に影響力なんか持っていません。猊下の慈悲が末寺の不徳のために伝わらない。そのために御本尊から目を閉ざす者が多数、出るとしたらどうします? 誰の責任ですか?
また、騒擾状態になって全国の各末寺で僧俗がぶつかり、両者の間に抜き難い亀裂が生じたらどうします? たとえ僧俗の間が修復されても、埋められない溝が残ってしまいます」
「スキャンダル合戦になるかね?」
「そこまでいったらおしまいでしょう。多くの僧侶は耐えられませんよ。しかもそれも、日蓮正宗全体のイメージダウンにつながり、信者が最後は世間から笑われる。私は信者のためにそんなことは避けたいんです。学会員にとっては処分があれば唐突すぎるし、なにもわからないし、迷惑な話です。猊下に逆らったということで、そのような信者を処分するわけにはいかないでしょう」
「(黙った)」
「創価学会独立計画を、岡村さんが中心となって行なっているかのように言っている者がいますが、それは絶対に違います。岡村さんは骨もあるし、バランス感覚もあります。流れ弾に当てるようなことはしないで下さい。最後にご住職が出るようなことになれば、岡村さんが交渉相手として必要です。他の者では上に言いづらいことを言わないので、纏まるものも纏まらなくなります」
「岡村さんによろしく伝えてよ」
「わかりました。この緊張状態の中でご住職に会ったとなれば、どのように申し開きしても、許されるものではありません。私もクビをかけてきました。
しかし、岡村さんであればわかってくれるでしょう。間違いなく伝えます」
「今日は本当にありがとう。商売のほう、頑張ってよ。しかし、(私は)出ないよ」
「(笑顔で)ご住職、意に任せないこともありますよ」
○ ○
玄関まで夫婦で送ってくれました。私が2階に上がり、本堂で題目三唱をして降りると、河辺はすでにおらず夫人のみが正座をし、三つ指をついていました。
夫人の三つ指をついての正座は、私が日正寺の門を出る数10メートルの間、ずっと続きました。振り返る都度、夫人は三つ指をつき頭を床につけたまま上げることはありませんでした。
この夫人の三つ指をついての丁重な挨拶に、
「ああ、宗門と創価学会は別れるんだ」
と実感しました。
泊まっていたホテルに戻り、ロビーで待っていた社員と合流し、会談の記録を作りました。
記録の作成は、千歳空港でも行なわれました。2人とも必死でした。
私たちは、JAL524便20時20分発に搭乗しました。
機中では、池田先生、創価学会員一人びとりのことを考えていました。いくら考えても、すっきりした解決法は思いつきません。ただ、池田先生だけは、いかなる方法をとっても護るという思いでした。
羽田空港に着いた私は、まっすぐ創価学会本部に向かいました。
すべてを岡村さんに報告し、会談記録を渡しました。
「録音してたのか?」
「危なくてそれはしてません」
(以上第22報)