私は、河辺慈篤と平成2年12月25日の午後2時から午後4時40分まで、話し合いをしました。この河辺との話で、創価学会の組織を切り崩すために、戒壇の大御本尊を利用しようとしていることが自然に露呈しました。そして、池田大作先生に対して、
「狂っている」
とまで言いました。
宗門は、戒壇の大御本尊をもって仏意仏勅の団体である創価学会を切り崩し、他方、池田先生については事実と真反対な評価をし、創価学会組織と分離しようとしていることが判然としました。
その河辺との話し合いの内容は、私が札幌から東京に帰った当日、詳細な記録として創価学会本部に報告しました。
さて、私が河辺と会っているその時刻、すなわち12月25日の午後1時から午後2時30分まで、日蓮正宗総本山大石寺の内事部第3談話室で、密議が行なわれていました。主なメンバーは次の者たちです。
阿部日顕(日蓮正宗管長)
高橋公純(同宗・本応寺住職)
段勲(フリーライター。高橋公純の実弟)
押木二郎(池田問題対策事務所・事務局長)
これらの者を前にして、日顕は池田名誉会長の処分、創価学会の破門を基軸とする謀略を話しました。
池田先生の処分について、日顕は次のように話しました。
「あさって、27日の宗会で池田を総講頭から罷免する」
「総講頭を辞任すると、本来なら自動的に名誉総講頭になるのだが、宗規を改正してそれすらなれないようにする」
「池田を罷免して、池田が『すみませんでした』と言ってきたら、『新宿の大願寺の一信徒となるならば許してやる』となるが、それ以外は認めない。それは呑めない話だから学会側は拒否し、池田ともども創価学会は破門となる」
「1月2日に池田が登山したら、一信徒として扱う。居士衣も着ることを許さないし、特別な席もしつらえない。池田と創価学会には厳しい条件を突きつける。呑めなきゃ、破門だ」
「池田を処分し、創価学会を破門にすれば、その残務処理に2年はかかる」
日顕らは、池田先生に的を絞り、作戦を練っていたのです。そしてその場にいた者たちにも、作戦の履行に手を貸して欲しいと、日顕は率直に述べました。
「創価学会との争いになれば、訴訟も考えられる。その時には押木さん、あんた証人になってくれるか」
押木が快諾すると、次は反創価学会ライターである段勲にも依頼をしました。
「段さんもしっかり書いてください」
「池田さんはどうも、私が教学部長だったとき、私を懐柔しようとしていたみたいなんですねえ。池田さんを信用していたのですが」
過去の自分の言動と、いまの言動とが背反していることについての言い訳です。その他、次のようなことが語られました。
「開創700年の時、学会は総坊ぐらいしか供養してない」
「1月15日までに決着をつけて、2月には戒壇の大御本尊を正本堂から奉安殿に移したい」
日顕の発言は続きます。
「正本堂を維持するには金がかかる。維持費が一日、何十万円もかかる」
ご供養を信徒からもらっていながら、日顕は愚痴にもならない愚痴を述べました。そして最後に創価学会攻撃の数的目標を述べました。
「池田を切って、200万の学会員のうち、1割の20万人が山につけばいい」
(以上第23報)