「本店決済を急いで欲しい」
「月々の返済はできるけれども手持ち資金がない。よって満額融資をして欲しい」
いずれも平時であれば、一笑に付され相手にもされない話でした。しかしながら、この物件を所有している会社は、3億数千万円の不渡手形を通常の商取引において被っていたのです。
その会社は、私の会社に土地・建物を有償譲渡し、それによって得た金員を銀行に渡し、事故を回避しようとしたのです。無論のことながら、銀行にとっても㈱報恩社への融資は事態解決の切り札でした。
銀行は㈱報恩社に土地・建物の代金に相応する金員を融資し、一連の手形不渡りの事件から脱出することを図ったのでした。
このことによって銀行は、取引先が倒産するといったトラブルから脱することができ、取引先とも今後、これまでどおり取り引きができるといった方途が開けたのでした。
しかし、このような解決をするには、健全な経営をしている会社に、不渡りをつかまされた会社の土地・建物を買わせることが必要です。
このトラブルの渦中にあった銀行は、㈱報恩社に土地・建物の取得にあたり、100パーセントの融資をしました。㈱報恩社に融資されたお金は、自行と取り引きのある会社の所有する土地・建物を取得するにあたっての資金となりました。
すなわちこの銀行にとって、㈱報恩社に物件取得のための融資をすることは、自行の抱えた焦げつき債権を速やかに回収するもっとも効果的な方法だったのです。
私は銀行と話し合う中で、銀行の置かれている状況が良くわかりました。私は、銀行に対して、
「物件は買いたい。しかし手持ち資金はありません。100パーセント融資をしてもらいたい」
と単刀直入に言いました。
なお、私がその答えを銀行側に伝えたのは、物件を見た直後でした。私が銀行より話をもらい、土地・建物を見、購入を決断したのは、同日でした。
このころすでに㈱報恩社は、周辺に倉庫などを複数、借りていました。それらの倉庫を解約すれば、銀行への返済額と同等の金員が浮いてくることが見込まれました。
それがわかっていたので、私は銀行に対し、
「私は一日で返事をしたのですから、私に負けないように早く本店決済をもらってください」
と申し入れをしました。そのように支店長に述べたのが、金曜日のことでした。ところが私の予想を遥かに超える勢いで、本店決済が月曜日の午前中に出たのでした。もちろん100パーセント融資でした。
私は心底、喜びました。その物件の所在地は今の本社ビルのある場所です。ここならば社員もこれまでの通勤距離とほぼ変わらず、会社が引っ越ししたことによって、辞める人もいないと思いました。
御本尊様に祈りが通じたのです。ちなみにこの本社所在地は、小竹向原駅3番出口より徒歩3分。地下鉄有楽町線、副都心線が接続しています。
このビルの名は、「宝珠ビル」とつけました。「無上宝珠不求自得」(法華経信解品第四)にあやかりました。
このようにして、新しいビルでの業務の遂行が始まりました。このビルの最上階の上、つまり4階に私の執筆室を増設しました。工事の途中、工務店の人より、
「3階の宰領室に負荷がかかりすぎるので、部屋の真ん中になりますが、2本の柱を作らせてもらいたい」
との申し入れがありました。
安全のためと言われれば、否応なくそれに従うしかありません。柱2本を部屋の真ん中に新規に増設すると、かなりの違和感があります。
それでも、自社ビルで仕事ができる喜びと比較すれば、柱2本の見てくれの悪さなど、どういったことでもありませんでした。
ところがある日、とんでもないことが起きました。3階の宰領室の真上に私の執筆室を増設したのですが、私がそこで仕事をしている時、部屋全体が揺れ、おまけに〝ギリギリ、ギリギリ〟と違和感のある音までしてきたのでした。私はびっくりして、そばにいる社員に下の階で何をしているか見てきてくれと言いました。
(以上第3報)